「いかに生きるべきか?」
あなたは考えたりしますか?私は考えます。
でも、これが"正解探し"になってしまうと、心のアラームが鳴るんですよ。
「ちょっと待った!」と。
何か、正解らしいものがあるような気がするんですよね。
でも、それは結局、
個々人の頭の中だけの話で。
あとから結果を見て、
「あの時の選択は正解だった」とか、
「失敗だった」と判断しているだけ。
実際には、確固たる正解なんて、ない。
思考が静まっている時、
「正解を探そう」と、ぐるぐる考えることはあまりありません。
私たちは「こう生きるべき」「これが正解」という枠、
人生のレールのようなものを求めます。
なぜなら、そのほうが考えなくて済むから。
そのほうが、楽だから。安心だから。
でもその一方で、
決められた枠から出て、自由に生きたいとも思う。
そうは思いながら、
なかなか枠から出ることができない。
ここで、ちょっと想像してみてください。
あなたは広野にひとり立っています。
どこまでも続く空と大地に、自分も溶けるような感覚。
何物にも束縛されていない、自由な感覚。
けれど、ずっとそこにいると、やがて不安になる。
雨が降ったらどうしよう。夜になったら、野生動物に襲われるかもしれない。
そんなとき、雨風をしのげる屋根と壁のある場所に入れば、安心しますよね。
私たちは社会という"家"の中に生きています。
そして、子どもの頃から社会のルールを叩き込まれ、
枠の中におさまることを正解としてきました。
それは生存戦略として合理的だし、
ある意味では「正解」なのかもしれません。
でも、人間の世界は「正」と「誤」が対になって存在する世界。
「正解」があれば、必ず「不正解」も生まれます。
そしていつしか、その正解に固執し、
「〇〇しなければいけない」「〇〇するべき」――そんな強迫的な観念に縛られてしまう。
安心のために作った枠が、
自分を不安にしていることに気づく。
だから苦しくなって、
自由を求めて枠の外へ出ようとする。
あなたも似たような感覚になったことはありませんか?
ところが、今度は不安がやってくる。
枠の中は安心だけど、窮屈。
枠の外は自由だけど、不安。
だから、
枠の中で、枠を超える。
思考の世界を一歩出れば、
それは問題ではなくなります。
「枠」も「社会」も
人間がつくった概念にすぎません。
実体はないのです。
確実に言えるのは、
「今、この瞬間、自分の身体で感じていること」だけ。
枠を壊すことが自由ではありません。
環境ではなく、あなたの心が自由なのかどうか。
本当の自由とは、
枠があっても枠にとらわれないこと。
水のように、さらさらと流れながら、
丸い器に入れば丸く、四角い器に入れば四角く。
形を変えても、水は水のまま。
人もきっと、そんなふうに生きられたらいい。
この記事は、2025年11月2日にnoteで公開した内容を、当サイトへの収録にあたり加筆・再編集したものです。
